私の子守
私の子守をしてくれた人には、アメリカ人やスリランカ人などがいる。
親の友人で、その関係で、自然と子守になっちゃっていた、というほうが正しいかもしれないけど。
夜、親が仕事から帰ってくるまで私と遊んだりするのが彼らのやっていたこと。
全員男性だから、家事とかではなくて、ほんとに、ただ単に私の遊び相手だったような。
私は子供の時は、病気したのもあって、とても体が弱かったから、家にいることがかなり多かったし・・・
彼らは留学生だったから、期限が来たら帰って行って、ひとつの期間にひとり。
そんなこんなで、アメリカ人は4人くらいだったと思う。他に、スリランカ人もいた
一番覚えているのは、ドイツ系アメリカ人。彼はいかにもドイツ人な名前で、ドイツの話をよくしていた。
フィラデルフィアの出身で、弟さんは強盗をして刑務所に入ってると言っていたのを覚えてるいかにもアメリカらしい
戦前にドイツからアメリカに来た移民らしく、ドイツ系はドイツ系でも、ユダヤ系ではないって言ってた。
そのころは子供だったから、その意味がよく分からなかったけど
彼からは英語のアルファベットを習った
で、この歴代の子守の話をしてたら、どうやら、フィンランド系アメリカ人の子守もいたらしい
実は私の周りにはむかしから、フィンランドの影があったんだと知ってビックリ。
彼は背がどでかかったらしい。
私はいつも膝の上に載せられて本を読んでもらったりしてたから、背の高さはしらなかったけど
彼からも英語を教わってた。
私の記憶にある4人の子守は、みんなブロンド(これははっきりおぼえてる。当時、変な髪の色、と思ってたから・・・笑)でやせてて、似たような顔だったから、その中で一番長く日本にいたドイツ系の子守の記憶がはっきりと残ってたわけだけど、じつはフィンランド系の子守もいたとは・・・
ドイツ系の彼は、放浪の旅に出ているらしく、ほかの3人は、みんなアメリカでうまくやってるらしい。
アメリカに行ったら、ホームステイさせてくれたりとか案内してくれたりするらしいけど、いつ行けるのやら・・・
大阪にも怖くて中々行けないのに、なんで、アメリカに行ける
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