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不安と死 1
今年入ってから体調が悪かったのですが、なんとか今月から本調子になりました。
それはそうと、、
なんというか、胸の奥辺り、まあ、俗にいう、心がありそうな場所がいつも重い感じです。
不安かなぁぁぁ。
いま、人生の岐路に立っていて、いつも判断を仰いでいた母がいない現在、たぶん感情的なものがパニック状態というか不安状態に陥っている気がする。で、いまこうやって冷静にかけてるから、それほど深刻な状態にはまだなってないと思いますが。
話すことで楽になるってよくいうから、母がなくなったことからの虚しさ、不安、そういったものを、友人に話したりしてきたけど、いつも、あ、ぜんぜん違う。と思って、そういうのを感じた途端、もういいや、やっぱり自分で納めるのがいいんやなぁぁってなってしまう。
よくあるパターンが、母がなくなってできた心の穴とか、そういうのをポツポツ言ってたら、わかるわかる、あたしもおばあちゃんがなくなった時に・・・・
(心のなかで)はぁ? おばあちゃん?(機嫌悪い時だと、ここは 『ばばぁ?』『ばばぁが、どうした?』 と心のなかで毒づいてたりw)
何歳で死んだのかもだいたい情報としてくっついてきて、たいてい60歳以上の大往生。
私の家系では父方も母方も女性はみんな短命で、50歳まで生けたら長生きの部類なので、ついつい、そういうのを聞くと、
それ寿命ちゃうん?なんも同じちゃうやん?
ってなる。
大体我が家のパターン的に、父方母方合わせると、人生の危機が
15歳、19歳、27歳、39歳、52歳
みたいで、この時期にだいたい大病するパターン。
15歳、19歳、27歳は病気になりつつも(そういや、母がなくなった時、寿命のろうそく?を私と母が交換したんやな、母のお陰で私は元気になるはず、とかいったおばさんがいたわ。)なんとか乗り切ったので、残るは39歳と52歳。
まあ、ほとんど52歳までにみんな死んでるけど、一人だけ67歳まで長生きした祖母がいたけど、彼女も結局60歳位から痴呆症だったし・・・
そもそも、両親は祖父母が歳いってから生まれた子供なので、私が生まれる頃には、一人をのぞいて祖父母はみんなとっくになくなっていたし、その残っていた祖母も私が5歳のときになくなったから、ほとんど記憶が無いし・・・だから、正直、おばあちゃんやおじいちゃんに愛情を持つっていうのがわからないし、だから、なおさら、私の母のなくなったことと、おばあちゃんをなくしたこととを同一視されると、ムカってくる。
小さい時、夢遊病だったらしいんだけど、不安とか多すぎると、夜中寝ている時に幻覚をよく見る。
で、最近特に、ねぼけてだか、なんだか、たとえば寝ている時に、突然天井から大きな蜘蛛が降りてきたりするんですが、それを捕まえようと、ベッドから起きだして、動き出し、電気もつけてしばらく探して、で、あ、そういやこれ夢やろ、みたいなことになることが多い。
それと、繰り返し見る夢があって、それを見た後、しばらくの間、夢と現実がごっちゃになって、夢の中で〇〇しないと、と思って焦っていたことを起きてからもしばらくしようとしたりして、あとで自分に苦笑・・・
母方の方はいまでいうADHDのけがあって、私もあきらかにADHDなんだけど、注意しないとけないのが、母方の方はそれプラス、躁鬱のけがあって、父型のほうはかなりガチの鬱病で、両方、自殺っぽい方が出てたり。たぶん私の内面的には母のほうが強そうだから、躁鬱的なんだろうな。。。
以前はずっと母が亡くなるまではずっと躁状態で、周りにいつもハイやね、ってよく言われてたんだけど、母がなくなってから、じわじわ鬱的な状態の時も出てきた感じがして、その時に、すごく胸の奥が重く感じるきがする。昔から突然一定期間家に閉じこもることがあったんだけど、その頃はまだ友達からの電話とか、家族との会話、メールとかコミュニケーションは普通で、たんに閉じこもってエネルギー補給みたいな感じだったのに、最近は、そういう状態になると、もう誰とも会いたくなくなるし、メール、ライン、フェイスブック、電話、あらゆるものを無視というか、無視するつもり無いんだけど、もう、返信とかそういうことができなくて、ただただ、心の重さ、苦しさ、というかそういうのが早くどっかにいきますように・・・・ってなってるんだけど。
母がなくなってから、ほんと、生きる意味っていうのが結構薄くなった気がする。これは決定的な理由で、もうひとつは、私の友人。
彼も白血病でなくなったんですが、18歳でなくなったんです。退院したらケーキ作ってくれる約束だったんです・・・お菓子作りが趣味だったので・・・退院したらバンド組もう、っていう約束もしてたし・・
彼がなくなったとき、ショックが大きかったです。その頃私の体調もよくなくて、よくお互い励まし合ってました。
まさかまさか。 彼は最後の2年間位、ほとんど病院、そうじゃなかったら家で、面会謝絶でした。
亡くなる2週間位前、突然体調が良くなり(これ、パターンですね。母もそうでした)、一時退院したんですが、タイミングの悪いことに、会おうかといっていた時期、私がひどい風邪をひいていて、彼に移ったら危険ということもあって、クッキー焼いてくれるって言ってたのですが、キャンセルになったんです。で、次会うときはケーキ作るわ、ってなって。
今月彼の誕生月なんですが、朝からそのことが思い出されて思い出されて・・ あのとき、どうせ亡くなるんなら、むりしてでも会ったらよかった・・・とか。
母の場合もそうですが、やっぱり、ああすればよかった、こうすればよかったというのは、思ってしまいますよね。よく、ブログとか見てると、特にスピリチュアル系とかのブログは、そういうのは思わない方がいい、とか書いてありますが、やっぱり人間の自然の真理として思ってしまうと思うんです。その後、どうすればいいのか、というのが重要じゃないのかな・・・
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母と集中力
なんだか、集中できないので、思ったことをだらだら書かせてもらいます・・
母の死以来、時々、ふと、私がこの先も生きていく価値があるのか、あるいは生きていけるのか、ものすごい不安に襲われることがあります
いつそれが来るかわからないけど、ほんと、突然やってくるんです。
街を歩いている母娘とかをみると、ああああ >< っという感じになるし、
母の日やらが来ると、ああああ >< になる。
母の命日が来ると、 ああああ >< ってなるし、
母との思い出の品物や場所とかに出くわすと、これもまた、 ああああ ><ってなる。
それと、一番涙が出そうになるのが、自分が一生懸命に何かに取り組んでいる時と辛い時、思い通りにいかない時。
たとえば、何かを書いたり、用意したり。働いたり。
こういうときに、ああああ >< ってなって、ふと、なんのためにこんなことしてるんやろ、一番喜んでくれるお母さんはもういないのに・・・とか。
辛いことがあった時、お母さんが生きていたら、励ましてくれたり、こんな事言ってくれてたかも・・・・とか。
体調が悪い時、心底心配してくれて、無理しなくてええ。 って言ってくれったこととか。
もうそういうのは二度と無い。
友達からの心からの助言も、結局は『母からの』助言ではない。
私に必要なのは母なのに。。
今後、もし何かの縁で結婚するかもしれないけど、それについても、ずっと『お母さんはどういったやろ。これでいいんかな』と心のどこかにずっと不安を持って行くんだろうな、って思う。
こうやってお母さんのことを思い出してる時は、集中力がなくなって、何も手がつかない。
こんな時は、お母さんのことを思う限り思ったらいいのかな。
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母を失うということ / ホープ・エーデルマン
これ、母がなくなって一ヶ月くらいしてから、日本語の方をまず買って読んで、そのあと、英語版を買って読んだ。
英語版だけだけど、実は、ワークブックもあって、それも読んだりした。
すごく気をはって初七日、四十九日法要、そういうのを色々こなしてたわけだけど、時間が経つうちにじわじわ来て、知り合いに私みたいに母親をなくした人がいなかったから、普通はみんなどうしてるんだろうと思って、この本を読んだのを思い出した。
あれから、2年。
体重は、ストレスのせいかだいたい10kg増加
でも、なんとか生きていけてる。
ただ、母が生きていたら経験できていただろうな、こんなこととかしてただろうな、とか、そういうのがつらつら心のなかにふわ〜〜っと充満してくることがあって、突然じわじわ涙が出てくることとかがある
こればっかりは同じような経験した人にしかわからないことだろうな、と思う。。
この前、母の親友の方のおうちにお邪魔させてもらった。
おいしい夕食をごちそうになったわけなんだけど、その方にはお孫さんもいらして、三世代で、なんやかんやわいわいいいながら、夕食を作ったりされてるのをみて、あ〜〜〜、これ、絶対私が今後経験できないもので、母も経験できずに終わってしまったもの、なんやんな〜〜〜〜
羨ましいのと同時に悲しい。
私の場合、途中で母と運命が変わったとしか思えない人生。
母ももともと体が弱い人だったけど、私はもっとひどくて、病院の往復が日課みたいな子供時代を過ごした。
白血病、アレルギー性紫斑病、脳腫瘍、腎臓、いろいろ。。
入院したり、自宅療養したり。。
高校もぎりぎりの出席日数で卒業して、そのあとまた病気とかになって、自宅療養。
普通の人からは、実質4年くらい遅れてる。
奇跡的なことが多々あって、幸い、なんとか体調もよくなって大学に通い始めたのと入れ替えに、母の病気が発覚かな・・・
私も母も精神力は、自分で言うのもなんやけど、すごくあって、もともと働き者だからこそ、無理することが多々あった。
それで結局休んでいれば、そこまでひどくならなかったかもしれないのに、ひどくなる、っという感じでよく病気になってたわけだけど・・
母がよく言ってたのは、
「無理したらあかん。あんたは無理したらいつなんどきまた再発するかもしれんから、しんどいときは、いややろうけど、無理してでも家で休み」
私はこの言葉をしっかり守ってきたわけだけど、なんか、最近、もう、どうでもいいんじゃないか、って思う時がふとある。
今月は別に高熱が出たわけでもないんだけど、昔に体験したことがあるような、すごく体の芯が疲れているような感じがして、体が今まで以上にしんどく、で、こういう時は、いつもそうなんだけど、ベッドに横になるだけで、延々眠ることができる。
首のところのリンパも腫れてて、正直しんどくて・・
頭の中ではやりたいこととかやらなければならないことがたくさんあって、動きたいんだけどしんどい
私の中では、こういう時は、母の言いつけ通り、体調が良くなるまで、ゆっくり家で休んだほうがいい、という気持ちと、なんとかして、這ってでも、活動しよう、っていう気持ちと、この二つがせめぎ合ってて、今月まではなんとか、母の言いつけの方を守ってきたけど、なんか、罪悪感がすごくて、もう、別にいいかな、っと思う。
精神力には自信があるし、これでなんかの病気になったときは、なったときで、腹をくくるかな・・
説明するのは難しいけど、母が生きていたときは、母が、母の声で、あの言葉を言ってくれてたから、それで納得してたけど、今は誰も言ってくれる人がいないから、頭の中では、言ってみるんだけど、それでも、この「じっと体のエネルギーが快復するのをまつ」ことに対する罪悪感みたなものがなくならない・・・母がいないのは、やっぱり大きいな〜〜いろんなところに響く。
病院に行ったら、たぶんいつものとおりなら、精密検査になるパターン。
でも母がなくなってから、一度もこっちの方の病院に行ってないし(もう一つの病院には薬をもらいにいってるんだけど)、精密検査も行っていないから、当分は行く気もしない。
母がいないのに、そんなに長生きしようとして何になる?
みたいな感覚がどこかにある。
母がなくなってからもいろいろあったし、これからもいろいろおきるんだろうけど、結局のところ、母は知ることは永遠にないわけで(少なくとも普通の形では・・)、人生に対する意味合いが変わってしまったのかな・・
誰かと一緒に道を歩いたりしているときに、ふと、
「あ、この人も、通りの向こうのあの人も、絶対にいつかは死ぬねんな〜〜、でもちろん私も」
と思ってしまう時があって、そういうことが最近よくある
あと、よく気持わかるっていって、おじいさんとかおばあさんとかがなくなったときのことを話してくる人とかいるけど、正直、
いや、ぜんぜんちゃうやろ、わからへんやろ
って思ってしまう自分がいる。
我が家は祖父、祖母は全員、私が記憶を思い出せる以前になくなってて、正直ぜんぜん思い入れがない。
ほんとの核家族で、家族全員でぜんぶ。
あと、ペットが死んだ時とかの話をしてきたひともいたけど、
は?ペット?
って感じ・・・
娘にとって母親を若いうちに亡くす、特に、自分自身がまだ完全に道が開いていないとき(結婚したり、子供を持ったり、仕事を持ったり、、、)に亡くすのは、それを体験した人でないとわかからないような、特殊な経験だと思う。
つらつら訳のわからないこと書いたけど、もし、お母様をなくされたなら、この本はおすすめです。
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